慧生坐禅会掲示板

97185
つれづれに - 友田昌秀
2017/06/25 (Sun) 08:29:45
    ほんとうに生きる、なまなましい、いのちの感動

純粋に生きようとすればするほど、とんでもない誤解を受ける。
だれだって誤解されるのはいやだ。
誤解を恐れて、自分が思ったことをストレートに表現しなくなる。
誤解されないように、と他人の目や思惑を気にして行動する。
やることが虚しくなってしまう。
それじゃほんとうに生きる、なまなましい、いのちの感動なんて、ひらくはずがない。

誤解するならしてみろ。

誤解こそ運命の飾りだと思って、
己を貫いて生きてみればいいんだ。

     岡本太郎 「孤独がきみを強くする」
つれづれに - 友田昌秀
2017/06/24 (Sat) 09:25:37
      青春とは傷つきながら獲得してゆくものだ

青春をただの人生の振り出し、未熟な段階というふうに、生涯の一時期として考えるのはまちがいだ。
ぼくは「青春時代」は区別すべきだと思う。
「青春」こそが生きがいであり、それを喪失して生きることは無意味だ。
俗に大人になると言うのは、ほんとうに生きがいのある人生をオリてしまうことだと言っていい。
青春は年とともに失われるものだとされているが、僕はむしろ逆を強調したい。
年齢の問題ではない。
青春は世界とぶつかり合い、障害を乗り越えながら、傷つき、ふくらみ、強烈な生命力によって身体一杯膨らませ、獲得していくものなのだ。
青春の最初の危機は人生の出発点にある。
それはまともにぶつかり、乗り越えたものだけが、青春を開き続ける。
だがいっぽう、本当の青春を知らないで終わる人生もある。
たとえば、名門校にあがること、いい会社に就職することが人生の目的のようにエスカレーションしていった人間が、あるときふと気がつく。
自分には青春と誇らしく言えるような、純粋な魂が戦慄した日がなかった。
そして愕然とする。
だがもう取り返しがつかない。

      岡本太郎 「孤独がきみを強くする」
つれづれに - 友田昌秀
2017/06/23 (Fri) 06:28:50
     呼吸は気分を変える

怒りを感じると、人間は呼吸が変化する。

幸福を感じていると、また違う呼吸法になる。

つまり、心の状態が呼吸に影響を与えるのだ。

しかし、こんな研究結果も報告されている。完全に体をリラックスさせて、深呼吸をすると、怒って欲求不満な気持ちではいられない。

穏やかな呼吸で居ると、穏やかでリラックスした幸せな気分になるからだ。

今度腹が立ったり気分が落ち込んだりしたら、意識して呼吸を変えてみよう。ゆったりと深呼吸をする。鼻から息を吸い込み口から吐いて、より深くゆっくりと呼吸しよう。

数分後には、いやな気分が消えてしまうだろう。

   サイモン・レイノルズ 「幸福を感じる50の公式」
つれづれに - 友田昌秀
2017/06/22 (Thu) 08:36:24
      どの音も対等、現代の私たちの象徴

 《ジョン・ケージは、禅の文化を世界に広めた仏教学者、鈴木大拙(1870~1966)に心酔していた。》
 何にもとらわれない、自己主張しない。あるがままに生きる。そんな鈴木大拙の教えを、ケージは自分の芸術で実践しようとしていました。
 かの「4分33秒」も1952年。大拙に感化されて生れました。ケージ自身にとっての「禊ぎ」の作品です。自分から発するものだけを音楽と思うなかれ。いま、此の場で鳴り響いている総てが音楽なのだ、と。西洋的なものさしに感化された自身の価値観に疑問符を突きつけるようになった。
 クラシック音楽と言うのは元々、王様とか貴族を喜ばせるためのものだった。でも、時代は変わった。今は一人ひとりが自分の人生に自覚を持ち、主張し、表現して生きていく社会です。
 個性やメロディーやハーモニーといったくびきを逃れた一音一音は、現代を生きる私たちの象徴。どの音も互いに従属せず、対等に立ちながら、一つの社会の一員として世界を呼吸している。調性を捨てた現代音楽は、そうした社会を渇望する人々の無意識が、表現となって現れ出たものではないかと。

    作曲家 一柳 慧   「朝日新聞」
つれづれに - 友田昌秀
2017/06/21 (Wed) 05:43:08
      信じれば救われるか

 以前から私は思っているのだが、「信教の自由」と言うあの言い方は、それ自体でおかしい。「信じる」というのは、自在に考える自由を放棄して、一つの考えに縛られることでしかないのだから、あれは正確には「信教の不自由」というべきである。なのに、彼らは自由でありたいと欲して、それを信じているということである。それを信じることで、より自由に、幸福に、なれると思うらしいのである。信じることで、「救われる」と。
 「救われう」というのは、どういうことなのだろうか。どのような状態をさして「救われる」と言うのだろうか。それが不明なのに、何を信じればよいのだろうか、私なら「考える」。

      池田晶子 「考える日々」
6月第2回坐禅会 - shima
2017/06/17 (Sat) 14:48:56
明日6月18日は6月第2回坐禅会です。
ご参加宜しくお願いします。

私は今、ブダペストに滞在しております、日中は30度位まで上がります、ずいぶん暑いです。ただ、空気が乾燥しているぶん凌ぎよいように感じます。明日はプラハに移動する予定です。

Re: 6月第2回坐禅会 - nakajima
2017/06/19 (Mon) 10:54:24
参加者は、10名でちょとさみしい坐禅会でした。
次回お話を聞かせていただくのを、楽しみにしています。
Re: 6月第2回坐禅会 - shima
2017/06/21 (Wed) 02:00:58
またお目にかかりましょう。
つれづれに - 友田昌秀
2017/06/20 (Tue) 06:18:22
”毎日毎日の足跡が
 おのずから人生の
 答えを出す”

 ”いまから
  ここから”         相田みつを
つれづれに - 友田昌秀
2017/06/19 (Mon) 06:07:15
        中ぶらりん

”途中に
 いるかぎり
 中ぶらりん
 底まで落ちて
 足が地に着けば
 ほんとうに
 落ち着く”       相田みつを
つれづれに - 友田昌秀
2017/06/18 (Sun) 04:42:15
         他人を気づかう

不幸な人と言うのは、たいてい自分のことだけを考えている。

自分の心配を減らし、他人を気遣うと幸福感が高くなると言う心理学者の研究報告がある。

振り返ってみよう。自分の不安や心配事ばかりに集中して、落ち込んでいないだろうか。

他人を助けることに気持ちを集中すると決心し、しばらく自分の問題は忘れよう。他人に力を貸せば、不安を忘れるだけではない。それは貴方にとって、とても刺激的な体験となる。

    サイモン・レイノルズ 「幸福を感じる50の公式」
つれづれに - 友田昌秀
2017/06/17 (Sat) 06:53:45
「たまたま」のこの人生


 なぜ自分はここに生れて、あそこに生れなかったと言うことは、考えても、理由がない。理由が見つからない。ということは偶然である。したがって絶対である。この、偶然的なことが絶対的であるという原点に気がついていると、自分の人生に、いってみると腹が据わるんですね。人と比較すると言うことがなくなるんですよ。だって絶対なんだから。自分の人生はこうであり、これ以外ではありえなかった。こうわかっているなら、あとは黙って生きるだけだ。

    池田晶子 「暮らしの哲学」

  


つれづれに - 友田昌秀
2017/06/16 (Fri) 06:31:21
       失敗の意味を知る

 年齢と共に、我々は当然、人生経験が増えるはずです。いろんなことがあります。まあ大抵は失敗のほうが多い。その意味では人生とは、それ自体が失敗だと言ってもいいかと思いますが、そのいろんな失敗をするから、「ああそうだったのか」「それはそういうことだったのか」とそのことの意味が分かる、意味を知ります。まさしくそれが人生経験、即ち生きるということではないでしょうか。経験する、意味が分かると言うことが、つまり、生きるということなのです。
 だから、歳をとることの面白さとは、まさにその経験の厚みが増すことでしょう。それがより深く腑に落ちるようになると言うこと、その実感、これはある種の普遍性を捉える感覚なんですね。

      池田晶子 「人生のほんとう」
つれづれに - 友田昌秀
2017/06/15 (Thu) 06:21:40
        成功は絶望に等しい

ほんとうに生きるということは、
環境に迎合したり、
安易に受け入れられ、好かれたりすることではない。
ばくは、いわゆる成功はむしろ絶望に等しいと思っている。
いつでも計算を超えた無目的な闘い、
あらゆる対象への無条件の挑みをつづけることが人間的であり、
生きがいであると信じている。

      岡本太郎 「孤独が君を強くする」
つれづれに - 友田昌秀
2017/06/14 (Wed) 06:04:05
        宿命と幸福

 およそ人の幸福とは、自分自身のところに自身を見出そうとするところにあるのだから、自身を自身と認めることが、それ自体幸福であることのはずだ。
「宿命」を、あらかじめ定められた不自由、自由に対立する必然と思うなら、それは間違っている。必然は自由の対立項ではない。必然を必然と認識するから、それに沿うことで人は自由なのだ。必然を必然と認識しないから、それを拒むことで人は不自由なのだ。人が、自身の宿命を認識し、それに沿い、その実現のために為される努力、これが幸福だ。

      池田晶子 「残酷人生論」


つれづれに - 友田昌秀
2017/06/13 (Tue) 06:10:58
       思い込みからの開放

 人間はあらゆる思い込みによって生きている。その思い込み、つまり価値観は人によって違う、その相対的な価値観を絶対だと思い込むことによって人は生きる指針とするのだけれども、正にそのことによって人は不自由になる。外側の価値観に自分の判断をゆだねてしまうからだ。此の意味では、イスラム過激派も自由民主主義も、同じことだ。自分で考えることをしない人の不自由は、まったく同じなのだ。
 精神は、考えることで、自分の思い込みから自分を解き放つ。死が存在すると言うことも、アラーが絶対だと言うことも、社会によって自由が保障されるということも、総てが不自由な思い込みだ。これが思い込みだと言うことには、考えなければ気がつかない。自由になるためには、人は、自分で考えなければならないんだ。

      池田晶子 「14歳からの哲学」
つれづれに - 友田昌秀
2017/06/12 (Mon) 06:25:28
     勝っても負ける生き方

「勝った」「負けた」と大騒ぎし、カネや出世や名声を求める。そんなのは所詮、他人との比較でしかじぶんのしあわせをはかれないひとのやることだ。言いたくはないが、人にはそれぞれの品格がある。人間には上品(じょうぼん)と下品(げぼん)の二種類がある。自分の欲に振り回されてアタフタと生きる人を下品という。足るを知り、心安らかに暮らす人を上品という。
 内的な幸福を得ずして外的な勝ちを得る。そんな勝ちはすなわち負けである。時代や社会がいかに変わろうが、物事を深く考える人はいつも考えているし、自ら考えない人は他人の価値観に振り回される。自分の人生を生きていないのだ。

      池田晶子 「私とは何か」

つれづれに - 友田昌秀
2017/06/11 (Sun) 07:50:47
        自分の命は誰のものか

 普通は人は、自分は自分だ、自分の命は自分のものだと思っている。だから、自分の生きたいように生きてなぜ悪いと言う理屈になる。
 自分の命は自分のものだ。本当にそうだろうか。誰が自分で命を創ったか。両親ではない。両親の命は誰が創ったか。命は誰が創ったか。
 よく考えると、命というものは、自分のものではないどころか、誰が創ったのかも分からない。恐ろしく不思議なものである。いわば、自分が人生を生きているのではなく、その何かがこの自分を生きているといったものである。ひょっとしたら、自分と言うものは、単に生れてから死ぬまでのことではないのかもしれない。
 こういった感覚、此の不思議の感覚に気づかせる以外に、子供に善悪を教えることは不可能である。

     池田晶子 「41歳からの哲学」
つれづれに - 友田昌秀
2017/06/10 (Sat) 06:33:33
不用な勘定

 思うに感情とは、意識の滑らかな水面に投じられた一塊の石ころによる暫時の泡立ち、もしくは波立ち、あるいは静謐な部屋、右のドアから乱入してきて左の窓から飛んでいった一羽の騒々しい鳥、煩雑なもの猥雑なものと言う気が、どうしても私はする。この世に感情と言うものが存在しなければ、人生はいかに清潔なものだろうと思う。
 ソクラテス、人にののしられても全然へっちゃらで、こういった。「ロバにいななかれて腹を立てるものがあるかね」
 矜持と自己愛は似て非なるもの。感情に煩わされないためには、矜持さえ堅持していれば足りるようだ。さあ生活を整頓しよう。不用な感情をこの世から駆逐しよう。

      池田晶子 「魂とは何か」
つれづれに - 友田昌秀
2017/06/09 (Fri) 07:41:48
      逆転の人生を生きる

 歩きたくても歩けない、去年できたことが今年はできないとは、多くは恐怖か絶望であろう。しかし、生きるという経験が初めての我々には、老いるということもまた初めての経験である。これはいったいどんな新しい経験なのか、驚きと共にそれを味わうと言うことが、尚我々には可能である。人生を思索するのではなく、人生が思索と化すと私は書いたが、これをさらに言えば、私が人生を生きているのではなく、何かが此の人生を、とりあえず私という名で呼んでいる此の人生を生きているということになる。このような、普通には逆転した構えで生きることは、我々から恐怖や絶望を、少なからず取り除いてくれるのではなかろうか。

       池田晶子 「新・考えるヒント」
つれづれに - 友田昌秀
2017/06/08 (Thu) 05:52:11
     「計画された偶然」

 ただ一ついえることは、自らが計画して起こした行動は、そのほとんどが自分の人生にとって大きなプラスに働いたと言うことです。とにかくどんな無駄に見えることでも、自分からやりたいと思ったことは大切にしないといけません。自発性こそが成功の秘訣なのです。とにかく、僕はよく色紙に「変幻自在」と書くのですが、自分はいつまでも立ち止まらずに変化していきたいと思っています。

     植島啓司 「運は実力を超える」

つれづれに - 友田昌秀
2017/06/07 (Wed) 09:14:08
      自分ならではの喜びを

 精神科医をしていてつくづく思うのは、他人や世間に見せているのは自分の生活や思いの一部だけで、誰もが自分なりの苦しみや悩みを抱えていると言うことだ。雑誌のグラビアにあるような、その人のごく表側だけを見て「うらやましい」と思ったり、「それに比べて私は不幸」と落ち込んだりするのは、本当に意味がない。
 そして、もうひとつ、自分の人生や毎日の生活の中にも、周りから見れば「いいわね」「愉しそう」と思われるものが何か必ずある、と気づくことだ。

        香山リカ 「うらやましがらないで」